セラピスト紹介

セラピスト・プロフィール

超意識セラピスト、心理カウンセラー、渡辺富美子。

過去を癒し幸せな未来の創造へと導くナビゲーター。

両親の喧嘩が絶えない家庭で育つ。幼少時より家でも学校でも人が怖く、小3のときクラスメイトに「嫌い!」と言われたことがキッカケで対人恐怖が顕在化。大学卒業後、高齢者施設に就職、結婚。その後20年間、主婦としてアルバイトしながら精神的引きこもり生活を送る。

 

人生半ばに受けたヒプノセラピーで一変。対人恐怖が消える。その後自らがヒプノセラピーを学び開業。

 

お客様からは「DV夫と決別し離婚成立。自立への道を歩み始めた」「全身の痛みの原因が怒りと分かり、痛みが消失した」「事故のPTSDによる不安とパニック発作が消失した」「人前で話すと緊張で声が震えたのが楽に話せるようになった」など喜びの声多数。

 

2022年、自らの超意識体験をセッションに取り入れ「超意識エネルギーヒーリング」「超意識ヒプノセラピー」を開発。さらに「目覚めのプログラム」を体系化。

 

今後も、過去の自分のように「生きづらさ」に苦しむ人たちが本来の自分を取り戻し、幸せな未来を創造するためのセッションを拡大予定。趣味は散歩しながら写真を撮ること。夫と元野良猫の2人&1匹暮らし。秋田市在住。

 

これまでにしてきたこと、主な資格

カウンセリング風景

  • 秋田大学教育学部卒業
  • 産業能率大学通信教育課程情報マネジメント学部
    心理カウンセリングコース卒業
  • JBCH(日本臨床ヒプノセラピスト協会)認定ベーシック・インストラクター
  • NGH(米国催眠士協会)認定ヒプノセラピスト
  • 日本催眠学会会員
  • カウンセリングのマスターコース修了(日本ヒプノセラピーアソシエーション)
  • ソマティック・ヒーリング上級コース修了
  • リーディング上級コース修了
  • レイキヒーリング サード修了(レイキ健康会)

【好きなこと、物】

食べ物・・・果物、ロールケーキ、半熟の目玉焼きと熱々ご飯

動物・・・猫大好き。今までに飼った猫は4匹。今5匹目の猫を飼っています。

音楽・・・バッハ、シャンソン、ヴィヴァルディ「四季」、マルチェッロ「オーボエ協奏曲」

画家・・・ボティチェリ、ブリューゲル。

映画・・・ローマの休日、アラビアのロレンス、たそがれ清兵衛

俳優・・・演技のうまい人。柄本明、笹野高史、ウーピー・ゴールドバーグ

趣味・・・散歩しながら写真を撮ること

その他・・・木や植物、花はみんな好き。

大きな木は特に抱きしめたくなる。

金泥で修理した陶器。

即興でメロディを作り歌いつづけることも。

・尊敬する人・・・美智子上皇后様、緒方貞子さん、アンゲラ・メルケルさん

 

セラピストの詳しいプロフィール

ここでは、わたしがなぜこの仕事をしているのか、

どこへ向かっているのか、お話ししたいと思います。

 

1. 生きることがつらい

わたしのプロフィールを読んでくださっているあなたは、

もしかして生きていることがつらいのではありませんか。

わたしも生きていることがずっとつらかったのです。

 

父と母は、いつもケンカをしている。

ふつうに話しているのを一度も見たことがない。

父はお酒を飲むと、いつ暴れ出すか分からない。

わたしの育った家は、実に危険な家でした。

 

学校でも、クラスメートの中に溶け込むことができない。

家にいても学校にいても、わたしはいつも緊張しっぱなしでした。

 

身体を洗うために2時間以上も風呂から上がることができない。

教室でお弁当を食べるときに手が震えて、食べ物を口に入れるのが困難。

家では食べ出すと止まらない。

 

今振り返ると、対人恐怖症、強迫神経症、不安神経症、過食症

などの症状が出ていたのだと思います。

 

でも、この苦しさは誰にもわかって分かってもらえませんでした。

親は自分たちのことで精一杯。

自分たちのケンカが子どもに与える影響について考える余裕もなかったのでしょう。

 

子どもの頃のわたしは、毎朝目覚めるとまた一日を生きるのがつらく

「どうして、こんな家に生まれてきてしまったのだろう」

「この世界には、わたしの生きていく場所がない」と思っていました。

 

でも、その一方で「これは本当の自分じゃない」とも感じていました。

わたしの心の奥には強烈に生きたい思いがあるのでした。

 

「生きていくのがつらい。でも生きたい」

そんな強い思いに押され、

わたしは自分を救うためにいろいろなことを試してみました。

 

若い頃から、哲学書や自己啓発本を読んだり食事療法をしてみたり。

でも、どんなことをしても自分を変えることはできませんでした。

 

2. ヒプノセラピーがわたしの人生を変えた

そんなわたしも縁があって結婚し二人の子どもをもうけました。

それでも、人に対する怖れが解消したわけではなかったのです。

胸の中には、つねに人に対する怖れと不安が渦巻いていました。

 

人生も半ばをすぎた頃です。

ある朝、わたしは家族を送り出したあと新幹線に乗って東京へ向かいました。

ずっと気になっていたヒプノセラピー (催眠療法) を受けるためです。

 

そのとき、わたしが選択したメニューは前世療法でした。

「こんなに生きていくのがつらい自分には、

どんな前世があるのだろう」と思ったからです。

 

催眠に入るとどうなるのだろう?

わたしは不安と緊張でコチコチになっていましたが、

あっさりと深い催眠に入ってしまいました。

 

その前世療法で見た自分は、魔女狩りに遭って処刑された修道士でした。

中世の処刑は、民衆に対する見せしめと娯楽のために公開で行われていました。

処刑される人間に対し、人々は石を投げつけ罵倒しました。

 

抑えようもない悲しみが噴き上げてきて、わたしは大声を上げて泣きました。

潜在意識の底に眠っていた辛い感情が解放された瞬間でした。

 

その日は、帰りの車中でもボーッとして、

何が起こったのか自覚することはできませんでした。

でも、それ以来、人に対して理由のない怖れを感じることがなくなったのです。

 

思えば、わたしは年中ケンカの絶えない家で育ったのですから、

人が怖い原因は今の人生にたっぷりとあるはずです。

 

その自分が、なぜ今の人生ではなく

過去生のトラウマを解放することで癒されたのでしょう。

 

わたしの場合、今生のトラウマはもちろんたくさんあったのですが、

それ以上に過去生のトラウマのほうが大きかったのでしょう。

 

魔女狩りの体験による大きなトラウマが解放されたので、

わたしの心は安心し人が怖くなくなったということなのだと思います。

 

潜在意識は、今生も過去生もすべて記憶しています。

潜在意識には、今生のだけではなく、

過去生のトラウマもすべて刻まれているのです。

 

3. 人生には生きる意味があるのだ

人が怖くなくなった。

それは、もちろんとてもうれしいことでした。

でも、それ以上にわたしが感動したのは

「この人生には生きる意味がある」ということでした。

 

「どんな目的でこういう人生を生きようとしたの?」

修道士だったわたしは、セラピストの問いにこう答えたのです。

「自分の魂を成長させるため」

 

人はただ苦労して死んでゆく。

生きることは徒労なのではないか。

わたしの心には、いつかこのような否定的な人生観が根づいていました。

この人生観も、わたしの心をずっと苦しめていたのです。

 

この人生には「生きる意味」がちゃんとあったのだ。

どんな人生も、魂が自らの成長のために計画してきたことなのだ。

生きることは徒労ではないのだ。

 

わたしは、目が覚めた思いがしました。

翌朝、録音されたセラピーのテープを聴いて、

わたしはまた大泣きしてしまいました。

 

4. 夫の病気と介護を体験

感動したからといって、

すぐにセラピーの勉強を始めたわけではありません。

まだ、わたしには体験しなければならないことがありました。

 

ヒプノセラピーを受けてから2年ほど経った頃、

夫が脳出血を起こし倒れたのです。

 

脳出血の後遺症はけっして軽いものではなく、

夫の身体には重度の障害が残りました。

 

9か月間の入院生活、1年以上にも及ぶ休職。

夫の様子を見ていると、とても復職できるような状態ではありませんでした。

夫は仕事を失い、わたしはこのまま一生夫を介護する生活が続けることになるのだろうか。

子どもたちはまだ学生でしたし、わずかな貯えもどんどん減っていきました。

 

先の見えない不安の中で、わたしは毎日必死に祈っていました。

わたしは、祈るたびにハイヤーセルフに「夫は復職できる?」と訊いていました。

すると、ハイヤーセルフは「大丈夫。復職できるよ」と言うのです。

 

休職期間も終わり、

今日出勤しなければもう退職するしかないという日が、

ついにやって来ました。

 

夫自身、グラグラしている自分の身体を思うと、

自分が復職できるなんて考えられなかっただろうと思います。

心は不安でいっぱいだったことでしょう。

 

でも、わたしは

「ハイヤーセルフが大丈夫と言うのだから、ダメもとで行ってみたら」

と夫を職場に送って行きました。

 

すると、あんなに不安定な身体状態だったのに、

夫はその後7年間もフルタイムで働くことができたのです。

 

5. 自分がヒプノセラピストになるなんて

職場への送迎、夫の手となり足となりの介護の日々。

そんな生活が5年ほどつづいた頃です。

 

夫の様子がだいぶ安定してきたのを見ると、

わたしの中で「何かしたい」という気持ちが疼いてきました。

 

わたしは、ヒーリングのセミナーを皮切りに、

ヒプノセラピーの勉強をするために東京に通うようになりました。

 

前世療法を受けたあの日まで、

セラピストになるなんて考えたこともありませんでした。

それなのに、わたしの中でいつの間にか、

ヒプノセラピーの魅力がどんどん大きくなっていったのです。

 

自分が苦しい思いをしていたときには自分のことしか見えず、

周囲の人たちがみんな幸福そうに見えたものです。

 

でも、わたしのように家族によるトラウマに苦しむ人たちは、たくさんいるはず。

また、過去生からのトラウマを抱えている人たちも、たくさんいるはず。

そんな人たちの力になりたいと思うようになっていたのです。

 

不安、緊張、対人恐怖、自信のなさ、生きづらさ・・・。

半生をかけての苦しい経験は、

この仕事をするための準備期間だったのではないかと思います。

 

 

6. 超意識体験がさらに世界を広げてくれた

2022年、わたしはあるセッションを受け、潜在意識よりもさらに深い超意識に入っていきました。

この体験が、わたしの世界をさらに大きく広げてくれました。

 

超意識を体験したことで

「この現象世界を動かしている宇宙の仕組み」だけでなく、

この現象世界を創造している

「創造の源」のエネルギーを感じることができたのです。

 

わたしは「これだっ!」と思いました。

 

それまで7年間ほどヒプノセラピーをしてきましたが、

ヒプノセラピーの素晴らしい効果を実感するとともに

ヒプノセラピーだけでは癒しきれないものがあることも感じていたからです。

 

それ以来、瞑想中にたびたび超意識に入っていくことができるようになりました。

すると、アイディアが次々と湧いてくるのです。

わたしは超意識を取り入れた新しいメニューを作り、セッションをスタートさせました。

超意識を取り入れたセッションを始めてみると、その効果に自分でも驚き、深く納得しました。

 

7. 超意識の波を世界中に広げれば

前世療法を受けた日、

わたしはこれまでの自分の人生がひっくり返ったような衝撃を受けました。

 

でも、超意識を体験してみると、

わたしはその日から高速の乗り物に乗っているような気がしています。

 

こんなに早々と新しいメニューを思いつき、

お客様から素晴らしい感想をいただけるとは夢にも思っていませんでした。

 

超意識を取り入れたメニューは、

過去を癒し幸せな未来の創造へと導く、

素晴らしい力を持っています。

 

なぜなら、それは人知を超えた

「創造の源」の力を使っているからです。

 

一人が幸せになることは、周囲を幸せにします。

 

一人ひとりの宇宙を幸せなものにする

超意識の波が世界中に波及していけば、

この世界はもっと平和な住みやすい世界になることでしょう。

 

わたしは、本当にそんな日を夢に見ています。

 

過去の癒しから幸せな未来の創造へ

あなたもこの超意識の波に乗ってみませんか。

わたし、渡辺富美子がナビゲートさせていただきます。